2019年10月01日

杜甫詩における房琯

757年至徳二載、杜甫は蘆子関で捕縛され、安禄山の叛軍に占領されていた長安に送られた。杜甫は軟禁の長安から命がけで脱出し、鳳翔の行在所に駆けつけた。その功によって粛宗に拝謁し、左拾遺(従八品上)の官を授けられた。必ずしも高い官職ではなかったが、その職掌は皇帝の政治の誤りを正すことにあり、同官を拝命した喜びは、杜甫にとって大きいものだった。ところが間もなく、杜甫は宰相房琯を弁護して粛宗の逆鱗に触れた。辛くも罪を問われることは免れたが、杜甫は徹底して朝廷内で疎外され、仕事に関して嫌気を感じていた。翌年には房琯の一党とされて、華州司功参軍に出される。宰相の房琯が邠州刺史に貶められたことで、杜甫が官を辞することはこの時期に到る詩には明確にあらわれている。そして759年乾元二年秋初、杜甫は粛宗の時代では、一縷の希望もないと、官職を捨てて秦州へと旅立つ。半官半隠の理想と人生は、捨てきれないものの後半生の漂泊はここに始まった。

左拾遺の官を拝命して、希望と使命感を抱いた杜甫が、一転して挫折と失望を味わうこととなった原因が、いわゆる「房琯擁護発言事件(房琯事件)」である。しかしこの「事件」により、堪え、苦しみ、詩人として格段の成長を遂げることになるのである。最も注目すべき事柄である。

 
 

 杜甫と房琯について杜甫の詩文は以下のようにある。

 

 

詩題

直接

関連詩

(1)

悲陳陶

 

(2)

悲青坂

 

(3)

陪王漢州留杜綿州泛房公西湖【案:房琯刺漢州時所鑿。】

 

(4)

 舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖

 

(5)

得房公池鵝

 

(6)

別房太尉墓

 

(7)

承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一

 

 

承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二

 

(8)

奉謝口敕放三司推問状

 

(9)

祭故相国清河房公文(故の相国清河房公を祭る文)

 

 

 

 

 

 

 

杜甫詩index-13  763年寶應二年 杜甫52歳 蜀中転々 92

杜甫詩index-15  765年永泰元年 54歳 正月幕府を辞す 63

●文

 

 祭故相国清河房公文(故の相国清河房公を祭る文)

 

○関連
杜甫人生のエポックメーキングの事件、「房琯擁護発言事件(房琯事件)」房琯に関する詩は
9首あり、関連の詩が5首ある。特に上記①~⑦の詩文の前後の作品は杜甫の心境を推し量るものとして注目している。杜甫の人生を変えた、この事件を多様に、有機的に、大局的にもとらえてゆく。

 

〇房琯一派 

鄭虔、何将軍、賈至、嚴武、岑參、蘇源明、儲光儀、

 

 

 

765-34 陪王漢州留杜綿州泛房公西湖 (十二()一〇〇六)註(640

舊相恩追後,春池賞不稀。

闕庭分未到,舟楫有光輝。

豉化蓴絲熟,刀鳴鱠縷飛。

使君雙皁蓋,灘淺正相依。

765-34 721 《舟前小鵝兒〔自注:漢州城西北角官池作,官池即房公湖。〕》

 

765年-35 得房公池鵝(卷十二(三)一〇〇八)註(641

房相西亭鵝一群,眠沙泛浦白於雲。

鳳皇池上應迴首,為報籠隨王右

765-35 722 《得房公池鵝》 

 

 

765-39 承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作二首其一(卷一四(三)一二三四) 注(843)

遺聞房太尉,歸葬陸渾山。

一德興王後,孤魂久客間。

孔明多故事,安石竟崇班。

他日嘉陵淚,仍霑楚水還。

765年永泰元年54-49 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一(遠聞房太守)

765-40 承聞故房相公靈櫬自閬州殯歸葬東都有作二首其二(卷一四(三)一二三五) 注(844)

丹旐飛飛日,初傳發閬州。

風臣終不解,江漢忽同流。

劍動親身匣,書歸故國樓。

盡哀知有處,為客恐長休。

765年永泰元年54-50 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之二》

 

 

 

 

 

757年至徳二載 《奉謝口敕放三司推問狀 房琯関連 1-(4) 杜甫 房琯関連 1-(4) 杜甫<1502-4 漢文委員会kanbuniinkai頌之の漢詩ブログ4360 杜甫詩1500-1502-4-1043/2500

 

 

 

 

765

年永泰元年54-49 《承聞故房相公靈櫬,自閬州殯歸葬東都有作,二首之一(遠聞房太守 杜甫index-15 杜甫<849> 漢文委員会kanbuniinkai紀頌之の漢詩ブログ4980 杜甫詩1500-849-1167/2500

 

 


続きを読む

kanbuniinkai10 at 20:44|PermalinkComments(0)房琯研究